権田酒造とは?
熊谷唯一の酒造江戸末期の嘉永年間(1850年)当地で創業以来約160年酒造業を営んでまいりました。伝統を受け継ぎながら改良を加え、熊谷人の誇りとなり得るような、より旨い「地酒」を造っていきたいと念じています。熊谷は荒川・利根川という二大河川が近接し、清浄な伏流水に恵まれています。
広大な平野、日本一の快晴率、暑い夏という気候風土は作物の豊かな実りをもたらしてくれます。お酒を仕込む冬の厳しい寒さは、芳醇ですっきりした酒質を育んでくれるのです。埼玉県独自の酒造好適米として「さけ武蔵」が開発され、熊谷でその多くが生産されています。また熊谷に在る県の研究機関では、様々な酵母を開発しています。これらの優良な地元の素材を使って地域の酒「地酒」を造っています。
直実(なおざね)の由来
熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)は、平安鎌倉期に武蔵国(現在の埼玉県の一部)で活躍した郷土熊谷の先達で、日本最高気温で有名な埼玉県熊谷市の地名の由来となった人物です。
源頼朝(みなもとのよりとも)公から「日本一の剛の者」と称賛される一方、一の谷での平敦盛(たいらのあつもり)との場面は人間味溢れる武人として歌舞伎「一の谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」や幸若舞(こうわかまい)「敦盛(あつもり)」、「平家物語」などに語り継がれています。
やがて仏門に帰依した直実は法力房蓮生(ほうりきぼう れんせい)として法然上人(ほうねんしょうにん)の弟子となり、深い信仰心と行動で上人から「坂東の阿弥陀仏」と讃えられたと云います。愛馬・権田(太)栗毛の物語、東行逆さ馬や十念質入れの伝承など、直実・蓮生に纏わる伝説は数多く、ゆかりの寺院は全国に存在し、くまがい草や熊谷桜にも御名を留めています。